こんにちは。大島紬アンバサダー事務局の秋葉です。
私にとって、
大島紬は和装(着物姿)で着ることに意義がある という思いがあるのですが、
それは「和文化を愛しましょう。着物を愛しましょう。日本人なのだから。」とも少し違う理由。
洋装で大島紬を着ることもあります。
ですが、和装を基本にしながら、
洋装まで幅広く楽しみたいと考えています。
あくまでも個人的な思いですが、
私が大島紬を和装として楽しみたい理由をまとめてみました。
まだまだ着物としてはビギナーの私ですが、40代を迎えたとき
なぜ「着物ライフ・大島紬ライフ」を楽しもうと感じたのかを書いてみました。
- これから着物を楽しんでみたいと思っている方
- 大島紬の魅力を知りたい方
- 自分の人生をもっと豊かに、もっと楽しみ輝きたい大人女性の方
私にとって大島紬は和装じゃないと意義を感じない3つの理由
私は、特に着物が好き!というわけではありません。
「大島紬なら何でも好き!」という大島紬ファンの方々とも少し違う感覚です。
ですので、何でもかんでも「大島紬だったら、龍郷柄だったら」取り入れたい!
とは思っていません。
ダサいものは、かっこよくないものは、好きではないものは
たとえ大島紬の高級地であっても絶対に私のライフスタイルに取り入れたくありません。
それなのになぜ、私が大島紬を着ているかのか。
それは、
私の憧れる女性像に近づくために、大島紬は最高の武器になると実感をしたから。
(大島紬コーデを考えるときは着物コーデだけではなく、自分の好きなファッションなどを参考にしています)
「親近感を持ちながらも、媚びない凛とした大人の女性像」を理想とする私にとって
上品な艶と張りがあるのに、体にしなやかに寄り添ってくれる着心地、
類を見ない唯一の技術(中身)が込められた最上級な存在なのに、
毎日でも着ることのできる(会うことのできる)親近感。そして何より、浮かれずシックな大人の黒は、
クールな黒ではなく、泥黒の柔らかさを持ち合わせた大島Blackが深みを感じさせる。
「大島紬」に惹かれたのは、凛とした美しさを持ち合わせたあのテキスタイルや、日常に取り込みやすいモノトーンが、私にはキュンときたからなのだと感じています。
大島紬はただの服ではなく、私の新しいアイデンティティ
私にとって大島紬を着ることは、
衣服の1つとして着るものではなく
40代からの自分自身のアイデンティティをもっと表現したい!という目的
仕事上、若い頃は華やかな洋服を着ることも多かったのですが、
35歳を過ぎたころ、明らかに外見の様子が変わっている自分自身を見て、
その経年変化への不可抗力に「終わった」と感じました。(笑)
あの頃着ていた洋服は、
今の私だと明らかに「似合わない・無理している感」が出てしまうのです(涙)
・・・と言っても、年齢相応の服装にシフトしていく気持ちにもなれず、
ファッションを楽しむこと、自分自身の外見演出を楽しむことを諦めかけていました。
そんなときに数十年ぶりに着た「大島紬」が、
私の自信を取り戻してくれました。
大島紬は、
- 私の体型の変化を優しく包んでくれ、自然と姿勢や所作が美しくなりました。
- アラフォーの私だからこその女性としての良さも、大島紬は魅力の1つとして引き出してくれました。
- 私が着物姿で歩くと、周囲の方々が笑顔で「素敵ね」と話しかけてくれました。
失いかけていた女性としての「オシャレを楽しみたい」という気持ちや、自信を取り戻すきっかけになりました。
着物を着ることは、
経年変化をマイナスに捉えることなく、むしろ
- 経験を重ねた美しさを表現できる武器の1つになる!
- 年齢を重ねた私の新しいコミュニケーションツールの1つになる!
そう実感させてくれたのが「大島紬」の着物姿でした。
(大人女性の挑戦!と、一昨年41歳で本場大島紬美人の選考会へ応募しまさかの合格!感謝です)
自分自身のこれからの人生のために、
私自身のこれからの自己の確立のために、
大島紬をライフスタイルの1つにもっと取り入れていければと思っています。
大島紬を着こなすことが、私自身の日常を非日常に導いてくれる
(近所の展示会へも着物をきると特別な時間に。)
大島紬は、着物の中でも比較的いつでも着ることのできるもの。
フォーマルなシーンじゃなければ、日常の御洒落着として楽しんでいい着物、、、と言われていても
- 着付けができない
- 時間がかかる
- 行動に制限がかかったり、苦しい
などの声が多いのも事実。
だから、その姿は特別なのではないでしょうか。
だから、その姿は内面までも写し出すのではないでしょうか。
道具として着る衣服や、防寒の目的として着る衣服、
ラクに過ごしたいときの衣服で過ごしたい日もあれば、
自分自身を最高な姿に表現しつつも、
自分自身がいちばんラクで苦しくないよう着こなす。
そんな、日々の日常を
纏うだけで非日常に連れて行ってくれる着物だからこそ、楽しいのではないでしょうか。
ラクに過ごしたい日は、洋服を着ればいいのですから。
自分自身の教養や成長につなげたい。人として、女性として。
「着物の格やマナーを守りましょう=教養」
とは別の話です。
(大島紬アンバサダーを立ち上げた理由も、大島紬を通して人として女性として成長したかったから。同じ思いの女性がたくさんいらして嬉しい!)
人はラクな方向へ進みたくなってしまうものなのだそうですが、私自身もまさにそう。
しかも年齢を重ねたからか、忙しい日々のせいからか、
「ま、いっか。別にいっか。」と、日常においての小さな諦めの頻度が多くなりました。
これが心まで老けていく原因なのかもしれません。
そんな私も「大島紬を着る」機会が増え、ライフスタイルに組み込まれたとき、
自分自身が新しいステージに上がれた気がしました。
そして
という前向きな欲が出てきました。
「こうすべき」と押し付けられた教養ではなく、
自分自身の欲求から得られる教養こそ、
自分自身の成長に繋がるのだろうと感じ、これからの自分にワクワクしています。
そしてもう1つ。
大島紬を着るようになった私にとって、最大のギフトになったことがあります。
自分でも大島紬を着れるようになりたい!と自装を練習するようになり、
自分自身の体のラインを意識するようになりました。
(着付けには、体のラインを整える補正という工程があり、そのとき自身のラインをチェックします。)
それはまるで、自分の体と心と向き合う時間のよう。
着付け時間を楽しめているときは、
心も豊かになっているような気がします。
すべてが簡略化されてしまう今の忙しい時代。
着付けの時間は、「自分と向き合う貴重な時間」
自分自身の心と向き合うためにも、
着付け時間を大切に練習していきたいと感じています。
これが私の、
大島紬は和装だからこそ意義がある理由です。
皆さまもぜひ、大島紬ある人生を楽しんでくださいませ。